前回、「エース社員に辞められたら困る会社は、なぜ弱いのか」というテーマで書きました。
特定の社員に顧客や情報、ノウハウが集中すると、経営者はその人に辞められることを恐れるようになります。
すると、本来なら注意すべきことを注意できない。
会社のルールを守らなくても目をつぶる。
周囲への協力が乏しくても、数字を上げているから仕方がないと考える。
こうして経営者の「忖度」が始まります。
しかし、この問題にはもう一つ、見逃してはいけない側面があります。
それは、忖度されている本人の問題ではありません。
その姿を見ている、他の社員への影響です。
私はむしろ、こちらの方が会社経営に与えるダメージは大きいのではないかと思っています。
社員は「誰が評価されたか」以上に「何が許されたか」を見ている
会社には、明文化されたルールがあります。
就業規則。
人事評価制度。
職務分掌。
営業方針。
行動指針。
しかし、実際の組織文化をつくっているのは、そうした文書だけではありません。
例えば、営業会議で社長が、
「これからは個人商店のような営業ではなく、チームで顧客を担当してほしい」
と言ったとします。
多くの社員はそれに従い、商談記録を残し、顧客情報を共有し、後輩を同行させるようになった。
ところが、一人のベテラン営業だけは何もしない。
「自分の顧客だから」
と言って情報を抱えたままです。
それでも、その人は売上を持っている。
社長も強く言えない。
評価も給与も変わらない。
このとき、他の社員は何を学ぶでしょうか。
おそらく、
「情報共有は大切だ」
とは学びません。
むしろ、
「会社の方針に従わなくても、数字さえ持っていれば許される」
と学びます。
経営者が何を言ったかよりも、実際に何を許したか。
組織文化をつくるのは、後者です。
組織は「例外」から壊れていく
経営者としては、たった一人の例外だと思っているかもしれません。
「あの人は特殊だから。」
「昔からいるから。」
「重要顧客を持っているから。」
「もう少し様子を見よう。」
しかし、組織にとって例外は単なる例外ではありません。
それは、新しいルールの誕生です。
「あの人だけはいい」という事実が生まれた瞬間、社員は会社の本当のルールを理解します。
表向きのルールと、実際のルールが違うことを。
例えば、
遅刻には厳しいと言いながら、売上トップの営業には何も言わない。
チームワークを重視すると言いながら、個人プレーで数字を上げる社員を最も高く評価する。
管理職には部下育成を求めると言いながら、数字さえ良ければ部下が何人辞めても役職を維持させる。
こうした「例外」が積み重なると、会社の中には二つのルールが存在するようになります。
建前のルールと、本当のルールです。
社員は賢いので、すぐに本当のルールを学びます。
そして、そのルールに適応していきます。
真面目な社員ほど、最初に損をする
ここで最も割を食うのが、真面目な社員です。
会社から情報共有を求められれば、きちんと入力する。
新しい方針が出れば、それに合わせて仕事を変える。
後輩の育成を頼まれれば、自分の時間を使って教える。
会議にも参加する。
ルールも守る。
一方で、その横には、
顧客情報を抱え込み、
後輩を育てず、
会社の方針にも従わず、
自分の売上だけを追っている社員がいる。
そして、その人の方が給与も賞与も高い。
これが続いたとき、真面目な社員に何が起きるでしょうか。
最初は我慢します。
次に、不満を持ちます。
その次に、諦めます。
そして最後には、
「自分もそこまで真面目にやらなくていいか」
と考えるようになります。
ここが非常に重要です。
組織が壊れるとき、全員が突然反抗的になるわけではありません。
むしろ、真面目だった人が少しずつ頑張らなくなる。
会議で発言しなくなる。
頼まれた以上のことをしなくなる。
改善提案をしなくなる。
後輩への声掛けをやめる。
会社の未来について考えなくなる。
出勤はする。
仕事もする。
しかし、「会社を良くしよう」とは思わなくなる。
私は、こうした状態の方が怖いと思っています。
経営者が失うのは「モチベーション」ではなく「信頼」である
こういう状況になると、経営者はよく、
「最近、社員のモチベーションが低い」
と言います。
しかし、本当に失われているのはモチベーションなのでしょうか。
私は違うと思います。
失われているのは、経営に対する信頼です。
社員は、必ずしも高い給料だけを求めているわけではありません。
全員が同じ待遇であることを求めているわけでもありません。
成果を出した人が高く評価されること自体には、多くの人が納得できます。
しかし、
「なぜあの人だけ許されるのか」
「なぜ自分はやっているのに評価されないのか」
「社長が言っていることと、実際にやっていることが違う」
という状態には敏感です。
人は、差があることよりも、差に説明がつかないことに不公平を感じます。
ここを経営者は軽視してはいけません。
「平等」と「公平」は違う
一方で、全員を同じように扱えばよいわけでもありません。
成果を大きく出した人。
難しい責任を引き受けている人。
高い専門性を持っている人。
会社への貢献度が高い人。
こうした人の待遇が高いのは当然です。
信賞必罰とは、全員を平等に扱うことではありません。
むしろ、違いに応じて適切に差をつけることです。
重要なのは、その差に合理的な説明ができるかどうかです。
「あの人は売上が高いから給与が高い。」
これは説明できます。
しかし、
「あの人は売上が高いから、会社のルールを守らなくてもいい。」
これは別の話です。
成果への評価と、組織人として求める行動は分けて考えなければなりません。
売上が高ければ、成果評価は高い。
一方で、情報共有をしない、後輩を育てない、会社方針に従わないのであれば、組織行動の評価は低い。
この二つを混ぜてしまうから、「数字を持っている人には何も言えない」という状態が生まれます。
評価制度に必要なのは「成果」と「組織貢献」の二軸
では、どうすればよいのでしょうか。
私は中小企業ほど、人事評価を複雑にしすぎない方がよいと思っています。
例えば営業社員であれば、大きく二つに分けて考える。
一つは「成果」。
売上。
粗利。
新規顧客。
重点商品の販売。
会社によって指標は違います。
もう一つが「組織貢献」です。
情報を共有しているか。
後輩を育てているか。
会社の方針に沿って行動しているか。
他部署と協力しているか。
自分のノウハウを組織に還元しているか。
この二つを明確に分けるのです。
そうすれば、
「個人売上は素晴らしい。だから成果については高く評価する。しかし、管理職として後輩を育てていないので、マネジメント評価は低い。」
と言えるようになります。
これは本人にとっても分かりやすい。
そして周囲の社員にとっても、
「会社はちゃんと見ている」
というメッセージになります。
「罰」は給与を下げることだけではない
前々回のコラムでは、「信賞必罰」について書きました。
ここでいう「罰」は、懲罰ではありません。
会社が期待する役割を果たさなかった結果として、評価や役割に差が生じることです。
例えば、部下を育てることが管理職の役割なのに、何年経っても育成をしない。
その場合、給与を下げることだけが選択肢ではありません。
管理職から専門職へ役割を変えることもできます。
重要顧客を一人で抱えて共有しないのであれば、担当を複数制にする。
情報共有をしないのであれば、営業会議で案件レビューを必須にする。
つまり「罰」とは、
会社として、その状態を放置しないこと
なのです。
経営者への処方箋――一度、社員の目線で会社を見る
ここで経営者に、一つ試してほしいことがあります。
自社の社員を思い浮かべながら、次の問いを考えてみてください。
「会社が最も評価している人は誰か。」
そして、
「若手社員は、その人の何を見て『評価されている』と思っているか。」
ここにズレがないでしょうか。
社長としては、
「彼は責任感があるから評価している」
と思っていても、若手からは、
「売上さえあれば好き勝手していい人」
に見えているかもしれません。
経営者が評価している理由と、社員が認識している理由が違えば、会社は意図しない行動を学習していきます。
だから評価は、決めるだけでは足りません。
説明する必要があります。
何を評価したのか。
何が足りなかったのか。
なぜこの役割を任せるのか。
なぜ今回は昇進させないのか。
経営者がそれを言語化することによって、初めて評価は組織へのメッセージになります。
「誰を昇進させるか」が、会社の未来を決める
特に重要なのが、昇進です。
誰を課長にするか。
誰を部長にするか。
誰を次の経営幹部にするか。
この意思決定は、本人一人の問題ではありません。
会社全体への強烈なメッセージです。
個人売上だけが高い人を管理職にすれば、
「この会社では個人売上を上げれば偉くなれる」
と社員は理解します。
後輩を育て、チームの成果を高めた人を管理職にすれば、
「この会社では周囲を強くする人が評価される」
と理解します。
つまり、人事評価とは過去の採点ではありません。
未来の組織文化をつくる経営行為です。
真面目な人が報われる会社は、決して甘い会社ではない
「真面目な社員を評価する」と言うと、成果主義と対立するように聞こえるかもしれません。
しかし、そうではありません。
成果を出す人はきちんと報いる。
同時に、組織を強くする人もきちんと報いる。
そして、会社が求める役割を果たさない人については、それがどれほど古参社員でも、どれほど売上を持っている人でも、曖昧にしない。
それが公平な会社だと思います。
社員に優しくすることと、曖昧にすることは違います。
社員を大切にすることと、何でも許すことも違います。
むしろ、本当に社員を大切にするのであれば、
真面目に会社の期待に応えようとしている人が損をしない組織をつくるべきです。
組織文化は、経営者が「見逃したもの」でできていく
会社の文化というと、理念やミッション、バリューを思い浮かべます。
もちろん、それらも大切です。
しかし私は、組織文化にはもう一つ重要なものがあると思っています。
それは、
「経営者が何を見逃したか」
です。
成果を上げているからと、傍若無人な振る舞いを見逃した。
古参社員だからと、変化を拒む姿勢を見逃した。
辞められたら困るからと、情報を抱え込む行為を見逃した。
その一つひとつが、
「この会社では、これは許される」
という文化になっていきます。
だから、経営者の仕事は評価制度を作ることだけではありません。
何を褒めるのか。
何を評価するのか。
そして、
何を見逃さないのか。
ここまで決めることです。
真面目な社員が馬鹿を見る会社が弱くなるのは、真面目な社員のモチベーションが下がるからだけではありません。
会社の中から、
「正しくやれば、正しく評価される」
という信頼がなくなるからです。
その信頼を失った組織に、どれほど立派な理念を掲げても、人は本気では動きません。
逆に言えば、社員が経営を信頼できる会社とは、決して全員に優しい会社ではないのだと思います。
評価すべき人を評価する。
改善すべきことは改善を求める。
役割を果たさなければ、役割を見直す。
そして、それを誰に対しても曖昧にしない。
公平とは、全員を同じように扱うことではありません。
会社が決めた基準を、誰に対しても曲げないことです。
それを最も試されるのは、問題のある社員を前にしたときではありません。
売上を持っている社員。
古くから会社を支えてきた社員。
辞められたら困る社員。
つまり、経営者が最も忖度したくなる相手を前にしたときです。
そこで経営者がどのような判断をするか。
周囲の社員は、思っている以上によく見ています。
そして、その一つひとつの判断の積み重ねが、会社の文化になっていくのだと思います。
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