前回は、中期経営計画(以下、中計)が単なる将来予測ではなく、意思決定の軸をつくり、組織の方向性を揃え、さらには経営人財を育てる装置であるという点について整理しました。
しかし、「人が育つ」と言うことは簡単でも、それを実際の現場で実現することは容易ではありません。むしろ多くの企業においては、「幹部にもっと考えてほしい」と感じながらも、その状態をつくれずにいるのが実情ではないでしょうか。
中計の策定に幹部を巻き込めば人が育つ――そう単純な話ではありません。実際には、「考えてほしい」と言われた幹部ほど、言葉を失い、沈黙してしまう場面が少なくありません。
ここに、このテーマの本質があります。
多くの経営者は、「なぜ考えないのか」と感じます。しかし、幹部の側に立つと、状況はまったく異なって見えます。
多くの幹部社員はこれまで、「与えられた業務を正確に遂行すること」によって評価されてきました。その文脈の中では、「正しい答えを出すこと」が仕事です。ところが中計の議論の場では、突然「正解のない問い」に向き合うことを求められます。
何を考えればよいのか分からない。
そもそも、自分が何を分かっていないのかも分からない。
この状態に直面したとき、人は思考を止めてしまいます。
したがって、「考えてほしい」という言葉だけでは不十分です。それは、泳ぎ方を知らない人に対して「泳いでください」と言っているのと変わりません。
では、どうすればよいのでしょうか。
一つの鍵は、「問いの大きさ」にあります。
例えば、「今後3年間の成長戦略を考えてほしい」という問いは、一見すると適切に思えます。しかし実際には、この問いは大きすぎます。抽象度が高すぎるため、思考の入口として機能しません。
思考が立ち上がるためには、問いはある程度の具体性を持っている必要があります。
自社の顧客は誰なのか。
なぜその顧客は当社を選んでいるのか。
その理由は今後も維持されるのか、それとも変化するのか。
このように問いが分解されたとき、人は初めて、自分の経験や現場の実感と結びつけながら考えることができるようになります。
ここで重要なのは、答えの正確さではありません。「自分なりの仮説を持てるかどうか」です。
仮説は、必ずしも正しくなくて構いません。しかし、仮説がなければ議論は生まれません。そして議論がなければ、自分の前提や思い込みに気づくこともできません。
思考とは、頭の中で完結するものではなく、言葉にし、他者と交わることで深まっていくものです。
もう一つ重要な視点は、「事実との接続」です。
幹部が考えられない理由の一つに、思考が現実と結びついていないという問題があります。感覚的には何かを感じていても、それがどの程度の影響を持つのか、構造的な問題なのかが見えていない状態です。
この状態では、議論はどうしても表層的なものにとどまってしまいます。
例えば、「最近は新規顧客が減っている気がする」という認識があったとしても、それが実際にどの程度の変化なのか、既存顧客との関係はどうか、利益にどのような影響を与えているのかが見えていなければ、そこから先の思考には進めません。
ここで初めて、「見える化」が意味を持ちます。
顧客別の売上構成、商品別の収益性、継続率の推移といったデータを整理することで、これまで曖昧だった認識が、具体的な事実として浮かび上がってきます。その瞬間に、人は初めて「考えざるを得ない状態」に置かれます。
重要なのは、データを分析することそのものではありません。
データを通じて、「問いが生まれる状態」をつくることです。
こうしたプロセスの中で、経営者の役割も大きく変わります。
従来のように答えを提示する存在ではなく、「どの問いに向き合うべきか」を示す存在になります。
経営者の頭の中には、すでに一定の答えがある場合も多いでしょう。しかし、その答えをそのまま提示してしまえば、幹部は考える機会を失います。
だからこそ、あえて答えを出さない。
その代わりに、「なぜそう考えるのか」「他にどのような可能性があるのか」と問い続けます。
このプロセスは、決して効率的ではありません。時間もかかりますし、もどかしさも伴います。しかし、この“遠回り”こそが、人を育てるプロセスです。
中計を経営者が一人で作ることは、それほど難しいことではありません。むしろ、その方が短期間で整った計画を作ることができるでしょう。
しかし、その計画は組織に何を残すでしょうか。
一方で、不完全であっても、幹部とともに考え抜いた計画には、思考の痕跡が残ります。なぜこの戦略なのか、どの前提に立っているのか、どこにリスクがあるのか――そうした理解が共有されます。
その差は、実行段階で決定的に現れます。
中計とは、未来を描くためのものです。しかしそれ以上に、「誰が未来を考えるのか」を問う装置でもあります。
経営者だけが考える企業と、幹部が考える企業。その差は時間とともに大きくなっていきます。
だからこそ、中計策定の場を単なる計画づくりで終わらせてはなりません。それは、組織の思考の質を引き上げる、極めて重要な機会だからです。
「考えさせる」とは、突き放すことではありません。
「考え方を共有すること」です。
その前提に立ったとき、中計は初めて、人を育てる装置として機能し始めるのではないでしょうか。
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