意外と意識されていない「プロダクトブランディング」のお話し。

目次

プロダクトブランディングとは

プロダクトブランディングの話をするとき、僕はいつも一つの問いから始めることにしているんです。

「その商品は、なぜ世界に存在するのか」

機能があるから、売れるから、作れるから——そういう答えが返ってくることが多くて。でも、それはプロダクトブランディングの出発点にはならないんですよね。プロダクトブランドというのは、「その商品が存在することで、誰かの何かが変わる」という物語の器だと思っているので。

この問いに答えられない商品は、たとえ品質が高くても、市場の中で「また似たような商品が出た」と受け取られてしまうんですよ。逆に、この問いに対して鮮明な答えを持っている商品は、品質が多少劣っていても、人の心に居場所を見つけていくんですよね。それがプロダクトブランドの力だと思っています。

商品とプロダクトブランドは、別物なんですよ

商品は、作れば存在するんですよね。でもプロダクトブランドは、育てなければ存在しないんです。

この違いを、僕は「名前のある器」という言葉で整理しているんですが。同じ水でも、ラベルのないペットボトルに入った水と、長年育てられたブランドの瓶に入った水とでは、人の心の中での価値が全く違うんですよね。水の成分は同じかもしれない。でも、そのブランドを手にしたときに感じる何か——信頼、こだわり、物語——それがプロダクトブランドの正体なんだと思っています。

わかりやすい例で言うと、エビアンとコントレックスって、同じフランスのミネラルウォーターなんですよね。でもエビアンは「ピュアで日常的な水」として育てられていて、コントレックスは「ミネラルが豊富でダイエットをサポートする水」として全く別のプロダクトブランドに育っている。中身の「水」は似ているようで、ブランドとして届けている物語は全く違うんです。同じカテゴリーの中で、「誰の、何のための商品か」を明確にすることで、別々のブランドとして自立できているんですよね。

だから、プロダクトブランディングとは「商品に名前をつけること」じゃないんですよ。「商品と人との間に、感情的な約束を育てること」なんです。

プロダクトブランドを育てる三つの問い

僕がプロダクトブランディングに向き合うとき、必ず三つの問いを立てるようにしているんですよね。

一つ目は、「誰のためのプロダクトか」ということで。

ターゲットという言葉はよく使われるんですが、僕はその言葉があまり好きじゃなくて。「ターゲット」は的を狙うような響きがあって、プロダクトブランドが育つ「関係性」の温度が感じられないんですよね。僕が使いたいのは「このプロダクトを手にしたとき、誰の顔が浮かぶか」という問いで。特定の誰かの顔が浮かぶプロダクトブランドは強いんですよ。「みんなに届けたい」と言った瞬間に、ブランドは平均値に向かって薄まり始めてしまうんですよね。

これはAppleがよく引き合いに出される話なんですけど、初代iMacが出たとき、Appleは「コンピューターをもっとシンプルに、もっと楽しくしたい人のための機械」というメッセージを出していましたよね。「全てのコンピューターユーザーに」じゃなかった。あの絞り込みが、Appleというプロダクトブランドを「スペックで選ぶ人のもの」から「ライフスタイルで選ぶ人のもの」に変えていったんだと思っていて。

二つ目は、「このプロダクトは、何を変えるか」ということで。

機能の話じゃなくて、そのプロダクトを使うことで、使い手の一日がどう変わるか、気持ちがどう変わるか、あるいは自分自身をどう見るようになるか、なんです。

earth music&ecologyのリブランディングに関わったとき、まさにこの問いに突き当たったんですよね。当時、低価格のカジュアルウェアというカテゴリーは競合だらけで、機能や価格で差別化しようとするとどこかで限界が来る。そこで「服を変えるのではなく、その人の物語を変える」という視点に行き着いたんです。着る人が「自分らしい毎日」に一歩近づけるための服、というブランドの物語を育てていった。機能訴求から感情訴求へのシフトが、プロダクトブランドを商品の次元から引き上げるんですよね。

国内外のキャンペーンを展開していくにつれて、「earth music&ecologyらしい世界観」が生活者の中に育っていったんですよ。それはどんな素材を使っているかじゃなくて、「この服を着ている自分が好き」という感情の積み重ねだったと思っています。

三つ目は、「このプロダクトらしさとは何か」ということで。

これが一番難しくて、一番大切な問いなんですよ。「らしさ」って、デザインでも、素材でも、価格でもなくて。それらを全部束ねた上に宿る「その商品にしかない空気感」のことなんですよね。

例えばルイ・ヴィトンのモノグラムって、バッグとしての機能だけを見たら説明がつかない価格ですよね。でも、あのモノグラムを持つことの意味が、長い時間をかけて育てられた「らしさ」の中にあるんですよ。旅と品格と物語——それが100年以上かけて積み重ねられてきた「ルイ・ヴィトンらしさ」なんだと思っていて。

日本の地方にも、そういう「らしさ」を育てているプロダクトブランドがあって。僕の好きな日本酒で言えば、例えば久米桜さん——大山の麓にある老舗の酒蔵なんですが——あの蔵が作るお酒は、味だけじゃなくて「大山の水と文化と時間が凝縮されたもの」という空気感が宿っているんですよね。その「らしさ」は一朝一夕には作れなくて、長い時間と誠実な仕事の積み重ねが育てていくものなんですよ。

とらやと源吉兆庵——同じ和菓子でも、育てた物語が全然違うんですよ

ここで、僕がプロダクトブランディングを語るときによく持ち出す、二つの和菓子ブランドの話をしたいんですよ。とらやと、岡山発の源吉兆庵です。

どちらも高品質な和菓子を作る、日本を代表するブランドなんですが、育てている物語の方向性が見事に違うんですよね。

とらやは、室町時代後期に京都で創業したと言われていて、御所御用達としての歴史を持っているんです。羊羹一棹が数千円から一万円を超えるものもある。でも、その価格に誰も違和感を感じないんですよね。なぜかというと、とらやが長い時間をかけて育ててきたブランドの物語が「日本の美意識と伝統の結晶」だからなんです。あの黒い箱を手にしたとき、人は羊羹を買っているんじゃなくて、何百年も続いてきた日本の菓子文化の一片を手にしている感覚があるんですよね。贈答品として使われることが多いのも、「とらやを贈る」という行為そのものが、贈る相手への敬意の表現になっているからだと思っていて。

プロダクトとしての羊羹は同じ素材から作られているかもしれないけれど、とらやというプロダクトブランドが届けているのは「時間と格式と日本の美」なんですよ。

一方、源吉兆庵はどうかというと、岡山を拠点に、果物王国・岡山の素材を活かした和菓子で独自のポジションを作り上げているんですよね。白桃やマスカットを使った菓子は、「岡山の果物の豊かさをそのまま菓子にした」という物語を持っていて。とらやのような歴史的な権威を背景にするのではなく、「この土地の恵みを最高の形で届ける」という現代的な物語でブランドを育ててきているんです。

しかも源吉兆庵は、銀座や伊勢丹など都市部の高級百貨店に積極的に出店することで、「地方の菓子」ではなく「日本のプレミアムな贈り物」というポジションを獲得していったんですよね。地方発でありながら、首都圏の目線で流通とブランドを設計した。それが見事だと思っていて。

この二つを比べると、プロダクトブランディングの面白さがよく見えてくるんですよ。とらやは「歴史と格式」を育てることで他の追随を許さないポジションを確立していて、源吉兆庵は「土地の恵みと現代的なプレミアム感」を育てることで独自の居場所を作っている。どちらが正しいのではなくて、それぞれが「誰のための、何のためのプロダクトか」を明確にして、その物語を一貫して育ててきた結果なんですよね。

逆に言うと、もし源吉兆庵がとらやのような「歴史と格式」で勝負しようとしたら、絶対に勝てない。でも「岡山の果物の物語」というフィールドで勝負する限り、とらやには真似できない強さがある。プロダクトブランドって、戦う土俵そのものを自分で育てていくものなんだと思っているんですよ。

ちなみに、この二つのブランドには共通点もあって。どちらも「安売りしない」ということなんですよね。プロダクトブランドにとって価格は「体温計」だと言ったんですが、この二つはその体温をずっと適切に保ち続けている。だから「とらやを贈る」「源吉兆庵を選ぶ」という行為に、贈る側の品格が宿るんだと思っています。

コーポレートブランドとの関係——傘か、独立か

プロダクトブランディングで必ず議論になるのが、コーポレートブランドとの距離感なんですよね。

企業名を全面に出してプロダクトブランドを育てる「ブランデッドハウス」戦略と、プロダクトブランドを企業名から独立させて育てる「ハウスオブブランド」戦略——この選択が、プロダクトブランディングの設計図を根本から変えるんです。

AppleのiPhoneは、Appleという傘の下でブランドが育っていますよね。iPhoneを手にすることが、そのままAppleの世界観への参加になっている。MacもiPadもAirPodsも、全部「Apple的な生活」という大きな物語の中に位置づけられていて、それぞれのプロダクトが互いにブランドを強化し合っているんですよ。

一方、P&GのパンテーンやアリエールはP&Gの名を前面に出さずに、それぞれが独自のブランドとして育っているんですよね。パンテーンは「髪のダメージケア」という世界観を、アリエールは「除菌・清潔」という世界観を、それぞれ独自に育てていっている。もしこれらを「P&Gのシャンプー」「P&Gの洗剤」として売っていたら、それぞれのブランドの個性は薄まってしまっていたと思うんですよ。

とらやと源吉兆庵で言えば、どちらも「ブランデッドハウス」的で、企業名とプロダクトブランドが一体になって育っているんですよね。「とらや」という屋号そのものがプロダクトブランドになっていて、個別の商品名よりも「とらやの羊羹」という言い方の方が力を持っている。これは長い歴史の中で企業とプロダクトの物語が一体化した結果なんだと思っていて。

どちらが正しいかではなくて、「どちらがそのプロダクトの物語を最も豊かに育てるか」で選ぶべきなんだと思っています。判断の軸はいつも「プロダクトの物語にとって、何が一番自然か」なんですよね。

地方の中小企業でよくあるのは、この設計をあまり意識せずに、気づいたら「社名と商品名が混在して、どちらのブランドとしても育ちきっていない」という状態なんですよ。コーポレートブランドとプロダクトブランドの関係性を意識的に設計することが、地域企業のブランディングでも非常に重要だと感じています。

地方のプロダクトブランドには、固有の強さがあるんですよ

地域に根ざしたプロダクトには、首都圏発のプロダクトが絶対に持てないものがあって。それは「場所の記憶」なんですよね。

香川の醤油、愛媛の柑橘、瀬戸内の塩——これらは単なる食品ではなくて、その土地の気候・文化・人の営みが凝縮された物語の器なんです。だから地方のプロダクトブランディングの第一歩は、「この土地でしか生まれなかった理由」を言語化することだと思っているんですよ。

源吉兆庵がまさにそれで、「果物王国・岡山」という地域の文脈を最大限に活用しながら、でも「岡山の菓子屋」に留まらずに「日本のプレミアムギフト」としてのポジションを育てていったんですよね。地域の強さを全国・世界のフィールドに持ち出すことに成功したブランドだと思っています。

最近面白いなと思っているのは、クラフトビールの世界なんですよね。大手のビールメーカーが全国均一の品質で作る商品に対して、「この町の水で、この土地の素材で作った」という物語を持ったクラフトビールが、全国どころか海外でも評価されるようになってきていて。プロダクトの「出どころ」が価値になる時代が、確実に来ているんですよね。

「香川産だから良い」だけでは、ブランドを育てる物語として弱いんですよ。「香川のこの土地で、この人たちが、この哲学で作ったから、あなたの食卓がこう変わる」——その連鎖まで言語化されて初めて、プロダクトブランドとして自立できるんだと思っていて。

産地はルーツであって、ブランドそのものではないんです。ルーツを誇りながら、その上に独自の物語を育てていくことが、地方プロダクトブランディングの要なんですよね。

もう一つ、地方のプロダクトブランドで強いと思うのは、「作り手の顔が見える」ことなんですよ。大量生産の工場ラインで作られた商品には、どうしても「誰が作ったかわからない」という匿名性がある。でも地方の小さな蔵元や農家や工房が作るプロダクトは、作り手の哲学や人生がそのまま商品に宿っているんですよ。消費者がその物語を買っている、という感覚があって。それはプロダクトブランドにとって、お金では買えない強さだと思っています。

プロダクトブランドが枯れるとき

長く現場を見てきて、プロダクトブランドが枯れていくパターンには共通点があるんですよ。

一つは「売れているうちに改良し続けて、らしさを失っていくこと」なんですよね。市場の声に忠実に応えているうちに、そのプロダクトが誰のものでもない平均的な商品になっていってしまう。

わかりやすい例で言うと、スターバックスが一時期「効率化」を進めて、エスプレッソマシンを自動化したことがあったんですよね。待ち時間は短くなった。でも、バリスタがコーヒーを一杯ずつ丁寧に淹れるという「スタバらしさ」が失われて、顧客が離れ始めた。その後、当時すでに退任していたハワード・シュルツが復帰して「原点に返る」という大きなリブランディングを行ったんですが、あれはまさに「改良がブランドを枯らした」事例だと思っていて。

とらやがすごいのは、何百年もの間、羊羹という「変えてはいけない核心」を守りながら、時代に合わせた展開——パリ店の出店、モダンなパッケージの限定品——を続けてきていることなんですよね。変えるべきものと変えてはいけないものの判断軸が、ブランドの中に育っているんだと思います。

改良は必要なんですけど、改良のたびに「これはまだうちのプロダクトらしいか」を問い直す習慣がなければ、ブランドは少しずつ別のものに変わっていってしまうんですよね。

もう一つは「価格を下げることでブランドを消耗していくこと」で。安くすれば売れる、というのは短期的には正しいんですが、価格を下げた瞬間に、プロダクトブランドは「その価格が適正な商品」として市場に定着してしまうんですよね。

バーバリーが2000年代に過剰なライセンス展開で安価なバーバリーチェックの商品が市場にあふれ、高級ブランドとしての価値が一気に損なわれたことがあって。その後の復活には膨大な時間とコストがかかったんですよ。値段を戻すことより、一度傷ついたブランドの価値観を回復させることの方が、はるかに難しくて。

とらやも源吉兆庵も、安売りしないことをずっと守り続けているんですよね。「体温計としての価格」を適切に保ち続けることが、長期にわたってブランドを枯らさない秘訣の一つだと思っています。

プロダクトブランドを育てるということ

結局のところ、プロダクトブランディングは「作って終わり」の仕事じゃないんですよね。

パッケージを作った、コピーを決めた、発売した——それはスタートに過ぎなくて。その商品が市場に出て、人の手に渡り、生活の中に溶け込んで、「あって当たり前」から「これじゃなきゃ」に変わっていく、その時間の積み重ねがプロダクトブランドなんだと思っているんです。

とらやが室町時代から今日まで続いているのも、源吉兆庵が岡山という地域から全国に育っていったのも、どちらも「信じて続けた」という覚悟の積み重ねだと思うんですよ。流行に流されず、安売りせず、「うちのプロダクトはこれだ」と言い続けてきた。その意志の連続性こそが、プロダクトブランドの根なんですよね。

面白いなと思うのは、今の時代はSNSやレビューを通じて、生活者がプロダクトブランドの育て手の一人になっているということなんですよね。「#earthmusic」でタグをつけて投稿する人も、地元のクラフトビールを「これが好きなんだよね」と友人に勧める人も、「とらやをお土産に持っていったら喜ばれた」と話す人も、みんなそのブランドの物語を自分の言葉で語ってくれているわけで。プロダクトブランドは、もはや企業だけが育てるものじゃなくなってきているんですよ。

そしてそのファンが語り継いでくれる物語を生み出すためには、作り手が「このプロダクトを信じ続ける覚悟」を持っていなければいけなくて。市場の風が吹いても、競合が真似をしても、流行が変わっても、「うちのプロダクトはこれだ」と言い続けられる意志——その意志そのものが、プロダクトブランドの根になるんですよね。

IMAGINATION MEANS NOTHING WITHOUT DOING.

頭の中でどれだけ美しいプロダクトブランドを描いても、それを日々の現場で体現し続けなければ、ブランドは育たないんです。育てるとは、続けることなんですよね。作り手の覚悟が続く限り、プロダクトブランドは育ち続けていくんだと、僕は思っています。

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この記事を書いた人

co founder / Chief Branding Officer
Creative Director
Society of Well-being 会員

企業価値を高めるブランディングコミュニケーションの設計とクリエーティブディレクションが専門。広告代理店のクリエーティブディレクターとしてコミュニケーションプランニングセンターを統括し、西日本エリアと首都圏で勤務の後、現在は国立大学の特命教授として地域活性化に向けた地域課題の解決を中心に活動中。RGP社の「地域を元気に」という趣旨に共感し参画。余暇はボランティア・放浪と冒険・road bike・surf&turf・燗酒で過ごすことがお気に入り。信条は Imagination means nothing without doing.

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