人を動かす──これはビジネスの最前線で常に問われる永遠のテーマです。私はファイナンスや戦略といった「数値や論理で語る世界」に長く携わってきましたが、グロービスの講義「パワーと影響力(PWI)」を通じて、その裏側にある“人の心”を動かすための構造と技術に向き合いました。
本稿では、講義を通じて得られたエッセンスを体系的に整理しつつ、中小企業の経営者やリーダーにとってどのように応用可能か、実務への落とし込みを試みます。
■PWIはスキル──再現性ある「人を動かす技術」
PWIは一部で「ヒト系のクリティカル・シンキング(クリシン)」と称されるほど、思考の構造化と行動の再現性が求められるスキルです。人を動かすとは、感情や信念、無意識の反応など複雑な要素が絡み合う営みです。だからこそ、直感や経験だけでなく、意図的なスキルとして体系的に捉えることが不可欠です。
中小企業の経営現場においても、「社員が動かない」「後継者が育たない」「協力企業が思うように協働してくれない」といった悩みは尽きません。これらの課題に対して、「PWIはスキル」と捉え直し、影響を与えるための設計・実行を繰り返すことが経営の質を高めていきます。
■3つのパワーと「在りたい姿からのバックキャスト」
人に影響を与える力=パワーには、
- ポジションパワー(役職や権限)
- パーソナルパワー(専門性・人間性)
- リレーショナルパワー(人脈・信頼) の3つがあります。
重要なのは、目指す姿から逆算して、必要なパワーのポートフォリオを自覚的に棚卸することです。現在の影響力だけでなく、将来的なビジョンから逆算して、どのパワーを強化すべきかを見極める視点が求められます。
■「生物的本能」へのアプローチとメタ認知
人は①合理、②感情・価値観、③無意識(生物的本能)の3層構造で動きます。中でも③の無意識領域に働きかけることが、最も繊細かつ効果的なPWIであり、「掌の上で転がす」とも表現されるこの技術には高度な繊細さと練度が求められます。
その実行には、まず「相手に憑依する力」と「自分自身のメタ認知」が前提となります。自身の価値観を横に置き、相手の視座に立ってみる。さらに、PWIにおいては自分自身がどう見えているかを意識的に捉え直す「演じる」感覚が必要です。これは、誠実であることと矛盾しません。むしろ、目的を果たすための“プロの姿勢”であると考えます。
■影響力の構造を可視化し、「勘所」をつかむ
複雑な人間関係の中でPWIを設計するには、構図・構造を図解して可視化することが有効です。関係者の利害関心やパワー関係、依存構造を矢印で描き出すことで、どこに働きかけの糸口があるかを発見できます。
これは中小企業における組織トラブルや事業承継の支援でも有効です。複雑な感情や関係性を一度フラットに整理し、どこから手を付けるかを設計する力こそ、再現性ある「人を動かす」技術です。
■「影響力の武器」をフォーマット化せよ──6つの武器の実践例
- 返報性:「与えることで返ってくる」
- 例:事前に有益な情報提供やサポートを行うことで、相手からの協力を引き出す。
- 実務活用:定期的に“無料で役立つ”ミニレポートを顧客に配信するなど。
- 一貫性とコミットメント:「一度言ったことを守る心理」
- 例:小さな約束から始めることで、徐々に大きな協力を得る。
- 実務活用:「まずは月次報告から始めませんか?」と段階的に関与を深める。
- 好意:「好きな人の提案は受け入れやすい」
- 例:相手の価値観や趣味への共感を通じて親近感を醸成。
- 実務活用:初対面での雑談により共通点を探す、服装や言葉遣いのマッチング。
- 権威:「専門家や権威者の意見は信用されやすい」
- 例:公認会計士という肩書をあえて前面に出す。
- 実務活用:実績や資格、メディア掲載実績を適切に紹介する。
- 社会的証明:「他の人がやっているなら私も」
- 例:他の経営者も導入していると示す。
- 実務活用:「他の顧問先でもご好評いただいています」といった語り口。
- 希少性:「今しかできない」「残り1枠」などの限定感」
- 例:「◯月開始の支援は残り1社のみ」と明示。
- 実務活用:特定の時期限定のサービス提案など。
これらの武器を「手持ちのカード」として日常業務に活用できるよう、場面別に定型フォーマットとして整理・蓄積することが、PWIを実務で使いこなす鍵です。
■「信頼関係=敵ではないと思わせること」
信頼関係とは、大仰な約束や共感の連続だけではなく、「この人は敵ではない」と認識されることでもあります。
特に中小企業においては、限られた人間関係の中での「ボタンの掛け違い」が大きな軋轢を生みます。協力関係を築く第一歩は、「敵ではない」と思わせる振る舞いの積み重ね。その前提として、共通点に光を当て、嫉妬の感情を和らげ、印象マネジメントを意識的に行うことが、極めて実践的なスキルです。
■バウンダリー・スパンナーとしての誇り
PWIを学んだ最大の収穫の1つが「境界連結者(バウンダリー・スパンナー)」という概念でした。
利害が異なる当事者の間に立ち、行き来しながら粘り強く調整するこの役割は、金融機関と企業の間、買い手と売り手の間に立つ財務コンサルタントの私にとって極めてリアルな役割です。
公式の権限がなくとも、個の力と信頼関係の蓄積で道をつなぐ──それが境界連結者の矜持であり、中小企業における調整役にも求められる能力です。
■パーソナルストーリーが魂を乗せる
最後に、講義を通じて「人を動かす言葉」とは、論理やデータだけでなく、語り手の「魂」が乗っていることが重要であると実感しました。
企業再生の現場で変革を促す時、冷静な事実伝達だけでは相手は動きません。自身の信念に根差したパーソナルストーリーが、相手の心に火を灯すきっかけになるのです。
中小企業の経営は「人間」の営みです。だからこそ、人を動かす構造と技術=PWIをスキルとして磨くことが、戦略や財務と並ぶ経営者の本質的な武器になります。
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