私はふだん、会計・財務・経営戦略といった経営テーマを中心にコラムを執筆しています。しかし、今回取り上げるのは少し異なる切り口です。朝井リョウさんの小説『イン・ザ・メガチャーチ』を読んだ際、その物語の構造と登場人物の心理描写から、中小企業経営にとって極めて本質的かつ実践的な示唆があると感じました。とくに「視点・視野・視座のコントロール」という視座の設計力の重要性について、深く考えさせられたため、本コラムで整理したいと思います。
熱狂の構造は、経営にも通じる
『イン・ザ・メガチャーチ』は、三人の人物を軸にストーリーが展開されます。レコード会社のマーケターとして“推し活”の構造を設計・運営する久保田慶彦、アイドルに熱狂する若年女性ファンの武藤澄香、かつて熱中し現在は虚脱感を抱える隅川絢子。
この三者の視点は、単なるファンビジネスの裏側を描くだけにとどまりません。むしろ「物語がいかに人を動かし、社会構造をつくるのか」「視座が変わることで、同じ現象の意味がまったく異なって見えること」が、圧倒的なリアリティをもって描かれています。
たとえば、作品中で印象的なセリフがあります。
「神がいないこの国で人を操るには、“物語”を使うのが一番いいんですよ」
ここで語られる「物語」は、ただのストーリーではありません。人々の価値観、行動原理、帰属意識を形成する装置としての「物語」です。そして、その物語の設計と運用、没入と離脱、その距離感が問われていきます。
これはまさに、経営におけるビジョンや理念、ブランドやカルチャーの在り方そのものだと感じました。中小企業が顧客や従業員との関係性を築く際、熱量や共感に頼る場面が増えていますが、それは同時に「物語の罠」へとつながるリスクも抱えています。
経営にとっての「視座の設計」とは何か
本作から得られる示唆の中でも、特に私が注目したのは、「視点・視野・視座をどう使い分けるか」という問いです。
多くの経営者は、「もっと視座を高く」「視野を広く」と言われます。確かに、それが必要な場面も多いでしょう。しかし一方で、あえて「視座を低く」「視野を狭く」設定することが、最適な判断やスピード感を生む場面もあります。
この「広げるべきとき」「狭めるべきとき」の見極めと使い分けこそが、実践的な経営において非常に重要です。
視座の“使い分け”が生きる、実践の5局面
①【広げる】事業の転換点での意思決定
市場環境が大きく変化する中、既存の事業やサービスをどう維持・拡張・撤退すべきかを判断する局面では、「今までの延長線」だけでは見通せません。顧客の変化、社会的潮流、自社のポジショニングを、マクロ視点と長期視座から捉え直す必要があります。
このとき求められるのは、「業界の常識を越える視座」「3年後、5年後の世界から今を見る力」です。
②【狭める】オペレーション改善や目標管理の場面
一方で、現場の効率改善やKPIの進捗管理など、「足元の解像度」が必要な場面では、あえて視座を下げ、「現場目線」「顧客接点のミクロ視点」を意識的に取り入れる必要があります。
“戦略は素晴らしいが、現場が動かない”というケースは、この視座のアンマッチに起因することが多いです。
③【広げる】組織文化や理念の見直し
企業理念やミッション、組織風土を見直すときは、「トップの視座」だけでは不十分です。むしろ、現場メンバーや若手社員、社外パートナーなど、多様な視点を組み合わせることで、理念がどう受け止められているのか、そのズレを検知できます。
ここでは、上下の視座よりも“水平”の視野の広がりが重要です。
④【狭める】意思決定を早く行いたい場面
中小企業では、スピードが命となる意思決定の局面が頻繁にあります。全方位に配慮しすぎると動けなくなってしまうため、「誰のための決定か」「短期的に何を守るか」に焦点を絞る必要があります。
このときの視座は「焦点化」がカギとなります。
⑤【広げ→狭める】物語を設計し、共感を得るとき
理念やブランドメッセージを設計し、それを伝えていく際には、まず視座を広げて社会や顧客のニーズを探索し、それに合った「物語」を構築する必要があります。その後は、その物語をブレずに伝え続けるために、視座を狭めて“熱量のある表現”へと落とし込む段階に移る。
つまり、ここでは「視座の推移=拡散と収束の往復」が求められます。
物語に“溺れず”“距離を取る”経営者であるために
『イン・ザ・メガチャーチ』では、物語に没入するファン、冷静に設計する運営者、かつてそこにいた者――それぞれの視座を通じて、「物語の力」と「その危うさ」が描かれます。
私たち経営者も、理念やビジョンという物語をつくり、語り、共有し、共感を得て、組織を動かしていきます。しかし、それは常に「中毒性」と「盲信」のリスクと隣り合わせです。物語を語るときには、「語っている自分自身が、その物語に飲み込まれていないか?」というメタ認知が不可欠です。
経営の現場で必要なのは、「物語を使うための視座の高さ」と「現実を見抜くための視野の深さ」、そして「判断のために視点を切り替える柔軟性」です。
自分自身の“立ち位置”を意識し続ける
『イン・ザ・メガチャーチ』は、「正しい視座など存在しない」という前提で書かれた小説だと私は感じました。誰もが何かを信じ、何かに救われ、また何かに違和感を覚える。大事なのは、そのときに「どの立場で」「どこから見るか」という自己の立ち位置を意識できているかどうかです。
経営者もまた、常に「自分は今、どの視座に立っているのか」「その視座は今、この状況にとって適切なのか」を問い続ける存在であるべきです。
物語に踊らされる側ではなく、物語を設計し、時に突き放し、時に寄り添う——そうした知性と感性のバランスこそが、これからの時代の経営者に求められているのではないでしょうか。


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