人は変われるのか──企業再生の現場で問われ続ける「信じる力」「この人は変われるのか?」という問いと、経営のリアル

私はこれまで、いくつもの企業再生の現場に携わってきました。財務や事業構造の再設計だけでなく、経営トップの意思決定そのものに深く向き合う中で、常に自分に問いかけてきた言葉があります。

「この人は、変われるのか?」

企業再生の過程では、経営トップ自身の変革が避けて通れません。経営危機を招いた背景には、構造的な問題や外部環境の変化もありますが、やはり最終的には「経営者の意思と行動」が大きな要因です。

数字に表れているのは、経営者の判断の“結果”であり、その責任を問うことは職業倫理としても避けられません。しかし、一方で、目の前の経営者が「変わりたい」と本気で願い、自己変革に取り組もうとしているとき――私はしばしば、迷いと葛藤に直面します。

・変わると信じて、あと半年任せるべきか。
・それとも、首をすげ替えて、新しい体制で早期に立て直しに入るべきか。

この判断は、シビアでありながら、人間の可能性に対する信頼を問われる決断でもあります。

アドラー心理学の視点:「人は変われる」という前提

アドラー心理学には、こんな考え方があります。

「人は、いつでも変われる。ただし、変わる“勇気”を持てば。」

この前提は、再生支援の現場において、時に励ましとなり、時に苦しみともなります。

なぜなら、変われるはずなのに、変わらない経営者があまりにも多いからです。どれだけ数字を突きつけても、未来のビジョンを共有しても、具体的なアクションプランを提示しても、行動が伴わない。

・過去の成功体験に固執し、変化を拒む
・現場の声に耳を貸さず、独善的な判断を繰り返す
・周囲に責任を押しつけ、自らの非を認めない

こうした姿を見るたびに、私は考えます。

「この人は本当に変われるのだろうか?」

「いや、変わらない“ふり”をしているだけで、どこかに覚醒のスイッチがあるのではないか?」

「私がもっと違う関わり方をしていれば、結果は変わったのではないか?」

自己変革の支援者であるはずの私自身が、無力感や諦めに近い感情を抱いてしまうことも、正直なところあります。

それでも、「変われる」という可能性に賭けるか

では、アドラー心理学の「人は変われる」という前提は、現実と乖離した理想論に過ぎないのでしょうか?

私は、そうは思いません。

アドラーは、「人は変われる」と言いつつも、「変わらない自由」も認めています。つまり、変化の可能性は常にあるが、それを選び取るかどうかは、最終的には“本人の意思”に委ねられているということです。

変わるためには、現実を直視し、過去の自分を否定し、未知への不安と向き合う必要があります。それは、並大抵のことではありません。特に、自分の意思決定が組織の命運を左右する経営者であればなおさらです。

だからこそ、「変われる人」と「変わらない人」が分かれる。

変われる人は、自らの目的に立ち返る勇気を持っている。
変わらない人は、現状を守ることを無意識の目的としてしまっている。

ここに、アドラー心理学の「目的論」が浮かび上がってきます。

行動の背後には常に“目的”がある。つまり、変わらない人は「変わらないこと」によって得られる何か(責任回避、自己防衛、対人関係の主導権など)を守ろうとしている。これは、冷静に見れば非常に人間らしい反応でもあります。

「信じる」と「任せる」は、同義ではない

私は最近、ようやくこう考えられるようになってきました。

「変われる可能性を信じること」と、「変わるまで任せ続けること」は、イコールではない。

変わる可能性は誰にでもある。けれど、変わるための条件が整わなければ、現実には変化は起きない。その「条件」とは何か?

・現実を直視せざるを得ない状況に追い込まれること
・自分自身の限界を認めざるを得ないフィードバックを受けること
・「もう後がない」という切迫感を持つこと
・信頼される誰かに「期待される」こと

私たち再生支援者にできるのは、こうした条件を用意することまでです。変化の最終的な意思決定は、本人にしかできません。

だからこそ、私は「信じたうえで、任せない」判断をすることも、経営者支援の在り方だと思うようになりました。

・信じているからこそ、あえてポジションを変える
・信じているからこそ、耳に痛い現実を突きつける
・信じているからこそ、「変わらなければ、終わりだ」と宣言する

これらは、冷酷な行為ではありません。むしろ「変化の責任を本人に返す」ための、尊重に基づく選択です。

終わりに:「信じる」とは、変化を他人任せにしないこと

企業再生の現場では、数字だけで判断を下す瞬間もあります。しかしその裏で、私たちは常に「人間の可能性」に賭ける選択をし続けています。

アドラー心理学は、人が変わることを“前提”とします。ただし、それは「変わることを期待する」という意味ではなく、「変わる力があることを信じる」立場に立つということです。

信じるとは、変化を他人任せにしないこと。
信じるとは、変化の責任を支援者としても背負うこと。
そして信じるとは、変化を促す「問い」を投げかけ続けること。

「あなたは、このままでいたいのか?」
「変わることに、どんな意味があると思うか?」

私はこれからも、この問いを携えて、経営者と向き合っていこうと思います。

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