「人が足りない」。中小企業の現場から聞こえてくるこの言葉は、もはや慢性的な経営課題となっています。しかし本当に足りていないのは「人数」なのでしょうか。それとも「役割をまたぐ力」なのでしょうか。
先日のnoteで取り上げた「リスキリング」の文脈に続くテーマとして、今回は「社員のマルチタスク化」、つまり“一人が複数の役割を担う”働き方について掘り下げてみたいと思います。私はこのテーマに対して、「旧来の機能別組織そのものが、AI時代には再定義されるべきではないか」という問題意識を持っています。
■「機能別組織」はもはや時代遅れか?
中小企業における多くの組織は、「営業」「総務」「経理」「生産」といった、いわゆる“機能別組織”をベースに設計されています。この構造は、一定の業務量と人員が確保される前提で効率的に機能する仕組みです。しかし現代はどうでしょうか。人材の確保は困難を極め、環境変化のスピードは増すばかり。さらにはAIの登場により、従来の分業構造の必要性そのものが揺らぎ始めています。
組織を柔軟に動かすには、固定化された「職能」ではなく、課題解決を軸とした“横断型”の動きが必要です。つまり、社員一人ひとりが「1人2役・3役」を担えるような構造と文化が求められています。
■「マルチタスク化」は人手不足対策ではない
まず誤解してはならないのは、マルチタスク化は「人が足りないから何でもやらせる」という発想とは異なるということです。むしろ逆で、「一人ひとりが複数の視点やスキルを持つことで、組織全体の創造性と対応力を高める」という戦略的な発想です。
たとえば、営業職がマーケティングの視点を持てば、顧客へのアプローチが変わります。経理担当者がITに強ければ、業務の自動化・効率化が加速します。こうした“融合的な人材”は、まさに付加価値を生む源泉です。
■【事例紹介】マルチタスクの実践現場
実際に、マルチタスクを経営の武器として取り入れている中小企業も存在します。以下、印象的だった3つのケースをご紹介します。
- A社(製造業):現場の生産管理担当が、顧客折衝の一次対応まで担う。工場と営業部門の間の“翻訳者”の役割として活躍。結果としてクレーム件数が半減。
- B社(IT系):エンジニアが人事採用の面接も実施。「誰と働きたいか」を技術者視点で見極める仕組みに。採用後の定着率が向上。
- C社(建設業):事務職がSNS広報を兼務。小規模ながらも現場のリアルを発信し、求人応募が前年比1.8倍に。
これらに共通しているのは、マルチタスク化が単なる負担増ではなく、「仕事のつながりを見える化し、社員の視野を広げる仕組み」として設計されている点です。
■実現のカギは「制度」と「心理的安全性」
マルチタスク化を成功させるには、以下の3点がポイントになります。
- 役割の“境界”を曖昧にする設計
ジョブディスクリプションを厳密にしすぎず、「この領域まではOK」というグラデーション型の職務設計が求められます。 - 評価と報酬の見直し
横断的に動ける社員ほど、結果として組織に大きく貢献します。その努力がきちんと報われる評価制度が必要です。 - “失敗できる空気”の醸成
慣れない業務に挑戦するには、心理的な安全性が不可欠です。異なる職能領域でのチャレンジが歓迎される風土づくりがカギです。
■組織の再定義へ――“動的な組織”という考え方
従来の組織は、「機能」や「部署」といった静的な構造で捉えられてきました。しかし、これからの中小企業に求められるのは、課題やプロジェクトに応じて動的に変化する組織=“流動性あるチーム体制”です。
マルチタスク化は、その前提となる「個の流動性」を高める取り組みです。経営者にとっては、「固定された職能を持つ人材を並べる」のではなく、「複数の視点を持ち、価値をつなげられる人材を育てる」ことが、経営基盤を強くする最も現実的な方法かもしれません。
■おわりに:未来の中小企業像を描くために
マルチタスク化は、単なる労働負荷の分散ではありません。それは「組織のしなやかさ」と「人材の柔軟性」を高めるための、組織設計の進化なのです。
経営者として、いま一度「社員にどこまでの役割を期待するのか」「組織をどのように設計するのか」を問い直すことが、未来に強い企業をつくる第一歩となるのではないでしょうか。
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